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県選定重要遺跡(鍛冶谷・新田口遺跡)

更新日:2014年8月28日更新

鍛冶谷・新田口遺跡B区 航空写真の画像
鍛冶谷・新田口遺跡B区 航空写真

鍛冶谷・新田口遺跡第12号方形周溝墓出土 壺形土器の画像
鍛冶谷・新田口遺跡第12号方形周溝墓出土 壺形土器

鍛冶谷・新田口遺跡

埼玉県選定重要遺跡 1976年(昭和51年)10月1日

所在地

戸田市上戸田5丁目ほか

時代

弥生時代後期~古墳時代前期

鍛冶谷・新田口遺跡は上戸田5丁目・3丁目・新曽にまたがって所在する集落遺跡です。昭和42年に戸田市で初めて見つかった遺跡で、1976年(昭和51年)に埼玉県選定重要遺跡にも指定されています。
鍛冶谷・新田口遺跡では、これまでに9回の発掘調査が行われており、弥生時代後期から古墳時代前期の遺構・遺物が多数発見されています。遺跡が立地する自然堤防の開発は、古墳時代初頭(約1700 年前)に積極的に行われました。
戸田市の多くの遺跡は、正にこの時代以降営まれたものです。遺跡は、集落(ムラ)跡と同時代の墳墓(ハカ)群で構成されています。竪穴住居跡は60 軒、周溝持建物跡120 棟、弥生時代の伝統的な墓(方形周溝墓)10基等が発見され、かなり大規模な集落であったことが分かります。
出土遺物は、煮炊き用の台付き甕、貯蔵用の壺、盛り付け用の高坏などの素焼きの土器(土師器)ですが、中には様々な地方産の土器が含まれていました。東海地方西部、近江地方、近畿地方、北陸地方、山陰地方の土器か、あるいはその特徴を強く受けた土器が出土しています。当時の盛んな地域間交流を窺うことができます。

関係文献

戸田市1981『戸田市史資料編一 原始・古代・中世』
戸田市立郷土博物館2006『第22回特別展:時は、弥生から古墳へ』

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