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市指定文化財(新曽沖内の馬頭観音像)

掲載日:2016年2月8日更新


新曽沖内の馬頭観音像の写真

「新曽沖内の馬頭観音像」

馬頭観音像安置状況の写真

馬頭観音像の安置状況

沖内馬頭観音堂の写真
沖内馬頭観音堂

新曽沖内の馬頭観音像

戸田市指定有形文化財(歴史資料):2016年(平成28年)1月28日指定

「新曽沖内の馬頭観音像」は、「寛文十庚戌暦三月廿一日(1670年)」の紀年銘がある馬頭観音です。

紀年銘の他には「武州足立郡新曽村惣百姓衆中」「奉造立馬頭観音像」という銘文が確認でき、新曽村の惣百姓衆中により造立されたことがわかります。

戸田市では17世紀代の馬頭観音は3基確認されており、この資料は二番目に古いことがわかっています。また、埼玉県全体に範囲を広げてみてもこの馬頭観音像は古い時期の資料であると言えます。

この馬頭観音像は、形態が舟形で、三面六臂立像が半肉彫りされた刻像塔であり、馬頭観音が造立され始めた17世紀中葉から18世紀後葉に多く見られる典型例です。総高や台石の有無は不明ですが、現状高は110.7cmを測り、市内では二番目に高いものです。

17世紀代の馬頭観音像は、造立数が少ないことにあわせ、路傍など屋外に立つものは風雨等により著しく劣化しているため、銘文などの判読が困難であるものが多いです。一方で、この資料は長年にわたり観音堂内に安置されたため非常に保存状態がよく、銘文や表情、持物の判読も容易なうえに、像や光背を滑らかにする際についた調整痕なども観察できます。したがって、馬頭観音像が造立され始めた時代の意匠や製作技術をうかがい知ることができます。

さらには、地元の皆さんが年に二回のご開帳を行うなど、現在も地域の馬頭観音信仰の中心となっていることも特筆できます。

極めて造立当初に近い姿で、信仰と切り離されずに観音堂の再建をくり返しながら守られていることからも、地域の歴史や民俗を物語る文化財として重要な資料であるといえます。

所在地

沖内馬頭観音堂(戸田市大字新曽620) (注釈)御開帳時を除き、通常時は非公開

所有者・管理者

沖内町会

関係文献

金子弘1979「戸田市の馬頭観世音」『日本の石仏』第10号日本石仏協会

金子弘1994「戸田市の石仏考」『研究紀要』第9号戸田市立郷土博物館

金子弘2002「馬頭観音信仰考」『研究紀要』第16号戸田市立郷土博物館

金子弘2003「文化財の指定を待つ石仏1」『研究紀要』第17号戸田市立郷土博物館

戸田市史編さん室1980『戸田市の石造物』市史調査報告書第8集埼玉県戸田市

戸田市史編さん室1987『新曽・上戸田の民俗』市史調査報告書第12集埼玉県戸田市

中村有希2014「埼玉県における馬頭観世音の変遷と地域性」『古代』第136号早稲田大学考古学会


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